月別アーカイブ: 9月 2011

2011年9月25日野田村支援・交流活動

9月のポスト瓦礫撤去等ボランティア・交流活動の2回目は、「塩の道を歩こう会」に参加するグループと、弘前市のNPO団体「動こう津軽!」主催の「移動おもちゃ館」サポートグループの2つに分かれて活動しました。参加者は、弘前大学学生9名、市民7名、教員1名の計17名で(現地合流の3名を含む)、途中の「道の駅久慈」で、野田村からの参加者と合流して、バス2台で「塩の道を歩こう会」のスタート地点へ向かいました。20110925

2011.9.17 野田村支援・交流活動

 4月以降続けてきた、ガレキ撤去を中心とした「定期便」の活動が8月31日で終了し、これからは、いわば「不定期便」として、交流活動にウェートを置いた活動が始まります。今回は、その1回目の活動として、「つくる・あそぶ・つながる 初秋の集い」が企画されました。具体的な内容としては、「ペットボトルロケットを作って飛ばそう!!」と「素敵な押し花を作ろう」が準備され、さらに急遽「嶽きみの振る舞い」も加わりました。また、今回の企画は、チーム北リアスも主催に加わっていただき、日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD)の皆さんと一緒に活動することになっています。…続き[PDF]

2011.8.31 野田村支援・交流活動

8月の最後の活動となったこの日は、学生14名、教員1名、市民19名の計34名(うち男性18名、女性16名)と平日にも関わらず、参加者が多く、また初参加者が10名で、活動初めから5カ月が過ぎていても初参加者が途切れることなく参加してくださっていることがとっても嬉しかった。
車内では、事務局の紹介の後、初参加者のための今までの経緯と活動内容に関する紹介、オリエンテーションと「幸せ運べるように」の合唱を行った。到着時間がいつもと同様、9時ちょうどだった。
野田村の災害復興ボランティアセンターに仕事の内容を確認しに行ったら、平日であることもあって少し閑散としていた。当日ボランティアを受付したのは我々以外に個人と団体を合わせて15名のみであるという。随分ボランティアが少なくなったものだ。また、今までならホワイトボードいっぱいに張られていた住民からのニーズ票もこの日は3枚だけで、大きく様子が変わったなと改めて感じた。
野田村2011年8月31日

《速報》2011.09.02弘前市との協議内容

 2011年9月2日14時より、弘前市役所にて、弘前市、弘前市ボランティア支援センター、弘前社会福祉協議会と弘前大学人文学部ボランティアセンターの話し合いの席が持たれました。開催趣旨は、野田村災害復興ボランティアセンターでの9月5日以降の県外等災害ボランティア募集・受け入れの休止の報を受けて、チームオール弘前の活動の善後策を協議することにありました。
 協議の結果、これまで通りバスを運行し、野田村災害復興ボランティアセンターの依頼を受けた瓦礫撤去等の作業から、チーム北リアスと連携したチームオール弘前の自主的活動にシフトする方針が確認されました。基本的には、今後は弘前からの提案型ボランティア活動、例えば、押し花やパッチワーク、木のおもちゃを用いての子どもとの遊びなどの活動を行う弘前市の市民団体の提案をもとに、野田村住民と一緒に作業をしながら話を伺いお茶を飲むなどのボランティア活動を行う予定です。一般市民や学生は、そのような活動を補助したり、野田村の方々とその場を共有することで、今まで通り参加することになります。
 活動形態は、チームオール弘前のままで継続し、バスの経費を市が負担し、市民の募集を市ボランティア支援センター、学生の募集を弘前大学人文学部ボランティアセンター、当日のバス事務局を学生事務局と教員事務局が担当します。
 以上が主な決定事項です。ボランティアの内容は、瓦礫撤去から共同作業、癒し、傾聴、子育て支援活動などに大きく変化することが予想されますが、チームオール弘前の運営の仕組みは維持されます。また、弘前市の様々な市民団体と協働することで、バラエティーに富んだ活動や経験ができるものと思われます。今後とも引き続きご協力下さいますようお願いいたします。なるべく早く実施できるように調整いたしますので、ご期待下さい。

2011.8.24 野田村支援・交流活動

8月24日(水)は、学生・教員、市民、それぞれ13名ずつの26名の参加、学生事務局は南部、田上、教員事務局は作道でした。
弘前は朝から断続的にやや激しく雨が降っていました。これまでの経験では、メンバーに自称、晴れ男が多かったせいか、「弘前では雨でも野田では晴れ」というパターンが多かった。しかし、今回は、危ぶまれるような降り方でした。事実、道の駅おおのをすぎて、峠を越えても雨はやみません。「バスは走っているから窓に雨がたたきつけているように見えるだけだ」という声もありましたが、それをさしひいても活動は無理かもしれないと危惧しておりました。事前の野田村への電話でも、もしかしたら仕事がないかもしれないとのことで、それはバスのみんなにも伝えておりました。結果としては、しばらく待機のあと、雨中のかっぱを着ての作業となりました。・・・
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